ちょっとレアなヨーロッパの国シリーズ④ エストニア🇪🇪(2)
前回に続きエストニアはタリンの続き。
ラエコヤ広場の旧市庁舎の次は広場の裏手にある聖ニコラス教会に向かいます。
わかりにくい写真しか撮っていなかった笑
教会の前にはエドュアルト・ビルデというエストニア文学の偉人のモニュメントがあります。(調べて初めて知ったけど)
この教会の中には「死のダンス」という中世の絵画が展示されています。ベルント・ノトケ作。不気味ですごーく印象的です。
Kiek in de Kök Museum (キーク・イン・デ・キョク)
タリンは城壁の街でもありますが、その城壁沿いの塔にある博物館が異様に印象に残っています。写真の真ん中の四角い塔は「ネイツィルトン」、左側の塔が「キーク・イン・デ・キョク」でその内部は博物館になっています。いく前は思いもよらなかったけど、ここが今回の記事のメインです。
城壁に沿って歩くとまさに中世ヨーロッパを感じる雰囲気です。このあたりの前の庭は「デンマーク王の庭」として知られているそうな。
展示物も最初は中世っぽいんですよね。
かと思いきや、奥の方に進んでいくと段々と趣が変わっていきます。
奥には17世紀ごろのスウェーデン時代に作られた地下道(Bastion passages)があるのです。またここが不思議なところで・・・
ちなみにスウェーデン時代は何かというと、かつてモスクワとスウェーデンがエストニアを巡って争い、1595年に締結されたタユシナ条約によってスウェーデンの支配下となったそうです。その後1700年代にロシア帝国に編入されるまでスウェーデン支配だったそうですね。その後も独立したもののソ連の一部になったり、この辺りの国々は色々複雑です。
段々と奥に進んでいくとさらに怪しい雰囲気に。
怖!!
なんだこの展示物たちは・・・
どうやらこのトンネルはソ連時代、WWⅡの時は爆弾のシェルター、防空壕として使用されていたようです。確かに雰囲気がすごく社会主義っぽいんだよな。
1980年代はお隣フィンランドのテレビから流れる西側の文化であるポップミュージックやヘヴィメタル、特にパンクに感化された若者たちがこのトンネルに住み着いたとか。いきなり音楽文化と接近しましたね。ソ連だった時もパンク文化があったというのは興味深いです。
エストニアン・パンクのミュージシャンで知っている人はいなさそうだけど、もうちょっと詳しく調べてみたい文化ですね。
Youtubeで1986年結成で今でも活動しているらしいバンド、J .M .K.Eの動画を見つけました。
トンネルで撮った写真の一枚のどうやらこの人たちがJ .M .K.Eっぽい。確かに壁に赤字で「J .M .K.E」と書いてあるぞ。
(せっかくなのでApple musicでJ .M .K.Eのアルバム「Külmale maale」の30周年記念盤を聴きながら文章を書いています)
「セックス・ピストルズ」や「アナーキー・イン・ザ・UK」、「パンク・イズ・ノット・デッド」なんて言葉もあってなんか親近感湧く。
話は戻ってその後、2005年ごろから博物館化され綺麗に清掃が行われるまではホームレスやジャンキーが住んでいたとかなんとか。
博物館を出て、ここから少し街を散策。
なんか天気悪くなってきたな・・・
旧市庁舎の裏側。
旧市街東側のヴィル門からの撮影。ちなみにこれから大雨降ってきてズブ濡れ。
一度ホテルに戻って仕切り直しです。