ロック聖地巡礼の旅! ドイツ🇩🇪 Hamburg(2)
ハンブルク二回目。前回まとめながら行ってなかったスポットがまだまだあることに気づき、もう一度ハンブルクに行ってきました!およそ2年ぶり、仕事以外では初めての訪問です。
前回のまとめで行ってないことに気づいたスポット・・・そう、ビートルズ関連のスポットを改めて回りました。
Beatles-Platz
ハンブルク中央駅からはSバーンに乗り、4駅で8分のReeperbahn駅で降車します。
地上に出て道なりに進むと繁華街の入り口がビートルズプラッツです。
実際のところは金属製のモニュメントがあるだけなので、言われなければビートルズをモチーフにしたものだとわからないかも・・・?
このビートルズプラッツを起点にして繁華街を進んでいきます。
夜は賑わってますが、コロナ禍の昼なので人はまばらでした。
これからビートルズがハンブルグ時代に演奏したと言われるライブハウスを回っていこうと思います。
まずは最初のハンブルク巡業時に演奏していたらしいインドラ・クラブとカイザーケラー。
Indra Club 64
インドラクラブの壁にはドイツ語で「1960年8月17日、ビートルズはインドラステージに入りました。それは彼らのドイツでの最初の契約であり、素晴らしいキャリアの始まりでした。」というような文章が刻まれています。
この場所でドイツでのキャリアをスタートさせましたが、どうやら騒音問題で閉店となり別のライブハウスに移らざるを得なくなったようです。
Kaiser Keller
次に移ってきたのがカイザーケラーです。1960年10月〜11月にここで演奏していたようです。そして、別のバンドで同じくリバプールからハンブルクへ訪れていたリンゴ・スターとの親交もここで生まれたとのこと。めっちゃ重要スポットですね!
カイザーケラーにもビートルズの記述がありますね。
当時の5人、ピート・ベスト、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、スチュアート・サトクリフがステージに立っていたこと、ピート・ベストの代わりにリンゴ・スターがドラマーになったことが記されています。
ここで演奏活動を行なっている最中にジョージは年齢の問題で国外退去となってしまい、翌週ピートとポールも放火疑いで逮捕され彼らも国外退去に。ジョンは12月にリバプールに戻ったそうです。
ポールたちはこの警察署で捕まっていたのでしょうか・・・
Star-Club
Star-Clubはもうないので跡地に訪問・・・
ここは1962年にオープン、1969年12月にクローズと短い歴史ですが、ここもビートルズが演奏していたライブハウスとして有名です。
彼らはオープン当時の1962年にこの場所で活動を行なっていたようです。
店の通路を抜けて中庭へ。店の裏側には記念碑が立っています。
この記念碑にはビートルズだけではなく、レイ・チャールズやチャック・ベリーなどのロックンロールの巨人たちの名前も刻まれています。
ビートルズのハンブルグ生活について振り返ったところでレーパーバーンを後にし普通の観光名所も訪問し直しました。それについてはまたそのうち・・・
弾丸グランドサークル🇺🇸(2)2日目
グランドサークル1日目の夜はモニュメント・バレーの麓、車で30分くらいのところにあるカエンタで宿をとりました。
Kayenta
見事にファストフードしかやってなかったので、夜ご飯はホテルの向かいのバーガーキング。昼も夜もバーガーなアメリカンらしい旅になりましたね笑
あまり夜何をしたか記憶がないので、朝早かったしすぐ寝てしまったのかも。
2日目 朝 8:00
昨日と似たような風景ですが、2日目は誰もが知るグランド・キャニオンに向かって200kmほどの旅が始まります。
朝 11:00
だんだんと近づいてきたのか、ただの荒野ではなく起伏が見られるようになってきました。
昼頃 グランドキャニオンに到達
カエンタ方面からアクセスしやすいEast Entranceから国立公園内に入場しました。
ビジターセンター近くには展望台もあり、憧れのグランドキャニオンを見下ろすことができます。(まあ登っても登らなくてもあまり景色は変わらないと思いますが)
塔の中はナバホ族の装飾でしょうか、カラフルに彩色されています。
広大な景色に感動すること間違い無いですね。
公園内は広く色々なビュー・ポイントがあるので西方面に移動しながら景色を楽しめます。
Grand Canyon Village
東側から40kmほど移動するとホテルやレストラン、鉄道などもあるビレッジにつきます。(むしろここに来るのがメインだった?)
ビレッジからの景観も素晴らしいのですが、着くまえにさらに人気の高いビュー・ポイントのグランド・ビュー・ポイント、ヤバパイ・ポイント(Yavapai)やマーザー・ポイント(Mather)にも立ち寄り景色を楽しみました。
が、どの写真がどのビュー・ポイントからの写真なのか後から見ても全然わかりません・・・笑
今思えばEast Entranceの方のビュー・ポイントはそんなに行く必要なかったかも?な気がします。まーでもカエンタ方面から長時間運転してきたら公園内に入ってすぐ景色を見たいと思うので、そういう意味ではありですね!
一般的にはビレッジの南には空港があり、ウィリアムズからの鉄道も通っているので、ビレッジを拠点にして観光するのが良さそうですね。
そんなこんなで夕方16時ごろになり、次のスポットへ移動を始めます。
夕方 18:00
グランド・キャニオン・ビレッジから160km先、次はセリグマンへ移動します。
セリグマンは以前ラスベガスをまとめた際にRoute 66の街として登場しました。
グランドキャニオンからラスベガスへの帰りのルートは途中セリグマンからキングスマンへのウエスト・ヒストリック・ルート66を運転して通っていけるのも魅力ですね。憧れのルート66体験ということで。
セリグマンからキングスマンへは1時間ほどなので、そんなに時間のロスにもならないのもオススメポイントです。
さて、セリグマンの風景を振り返ってみたいと思います。
いやーいいですね笑
あくまでも観光者としての意見ですが、この少し寂れてるところが郷愁を感じさせてすごく印象的です。
セリグマンはウエスト・ヒストリック・ルート66の出発点として、キングスマンへ100km超のルート66の旅が始まります。
夕暮れ時なのも相まってすごーく良い景色でした。
特に何もないんだけど、この片側一車線しかないそれほど交通量の多くない道を運転しながら、いろいろな映画やストーリーの中に出てきた道を運転しているのだと身にしみましたね。
この後キングスマンを経由し、さらに150km運転しラスベガスへ戻ります。
そういえば、ラスベガスではこの芸をやっている人がいました。
たまーに見るけどこれどうやってるんだろう・・・(その時は気になるけどその後どうやっているのか調べたことはない笑)
以上、一泊二日の弾丸グランドサークルツアーでした。二日で約900マイル、1500キロくらいの距離でした。旅行者にしてはかなりの時間の運転だったと思います。
普通はこんな弾丸で行かないものなんだろうけど、いろいろ詰め込んでちょっと大変だったからこそより心に残る!?旅立ったように思います。
是非次回に行く時は他の国立公園も回りながら、もっとゆっくり景色を楽しみたいですね。前回も書きましたがモニュメント・バレーには絶対泊まってみたいです。てか1年ぐらいアリゾナに住んでみたい。(1年でいいと思うけど笑)
弾丸グランドサークル🇺🇸(1) 1日目
2016年夏にグランドサークルを回りましたが、中々の弾丸旅行だったので今更ながら記録のためまとめておきます。(もう5年も前で驚き・・・)
だいたいグランドサークル周遊で調べると一週間とか10日とか、短くても5日とか・・・出てくると思います。(もちろん素晴らしい景色と経験が待っているのでゆっくり回るに越したことはありませんが)
しかーし、当時は時間がなかったのでグランドサークルを1泊2日で弾丸で回りました。(ラスベガスまでの移動は除く)
ラスベガスの話は以前にまとめを書いてますので、今回は一応その続きとしてグランドサークルに絞って記録していきます。
それでは始めていきます。まずは1日目から。
朝 6:00
前日夜中はカジノに行きましたが翌日に備え早々に打ち切って早起きです。
(一緒に行った友人は夜通しカジノやってたので車中ずっと寝てたのでちょっとだけイラッと笑)
まずは最初のスポット、約450キロ先のホースシュー・ベンドを目指します!
少し走ると何もないだだっ広い荒野に出ます。こういう景色アメリカっぽくて好きです。
朝 8:00
1時間くらい走ると岩山に囲まれました。迫力があって運転が楽しい!
朝 10:00
さらに2時間。この辺はユタ州とアリゾナ州を行ったり来たりするあたりでしょうか。
ここであることに気づきました。時間おかしくね?
2つの州は上下に位置しているので当然同じタイムゾーンかと思いましたが、「サマータイム採用してるかしてないか問題」があってまさかの1時間時差があるという。時計が行ったり来たりしていました、、
朝 11:30 Glen Canyon Dam
目的地直前にしてここでひと休憩。(地図は若干場所がズレてますが)
高さ216mでアメリカで2番目に高いコンクリートアーチダムだそうです。高けー!ってなりました。(語彙力)
ダムの北側はこのダムによってできた人造湖レイクパウエルです。
ダムの南側にはコロラド川が流れます。
昼 12:00 Horseshoe Bend
ダムからほんの10分ほど運転すると、本日最初の目的地に到着です。
ずーっとこの光景ではありますが、荒野で地平線が見えるほどです。ふとこの光景見たくなるんだよなあ。
崖になっているので高所恐怖症には辛いですが、勇気を出して前に進まないと全貌が見えません笑
コロラド川が岩山を削ってできたそうですがこんなに綺麗な形になるなんて奇跡的ですね。
アメリカでは自然遺産に行けとよく言われましたがその通りだと思います。
昼 13:30 お昼休憩
近郊の街ページでマックに行くという普通のお昼休憩でした笑
昼 15:00 Lower Antelope Canyon
さて次の目的地、こちらもページから10分くらい運転したところにあります。
ここではツアーに参加しました。
https://www.lowerantelope.com/
アッパーとロウワーがありますが行ったのはロウワーアンテロープキャニオンです。
MacBookの壁紙等で見覚えのある人も多いと思います。本当に目の前にあの光景が広がってるのでびっくり。
ちなみに、写真で有名なのは行ってない方のアッパーらしいです。笑
どうやらアッパーの方は平坦なようですが、ロウワーは階段を上り下りしたり狭い道を進んだりと探検気分が味わえて人気のようです。時間があればどちらも行くのがベストですかね?
ここからしばし写真のご紹介。
陽気なガイドさんでした。
これまた自然の偉大さを体感したところで、200km先の本日最終地点に向かいます。
この時はまだ個人的アメリカ生活ナンバーワンと行っても良い光景を目にするとは思ってもいませんでした。
夕方 19:00 Monument Valley
確か訪問時は20時閉店だったので、少し前に到着して慌ただしかった覚えがあります。
これから日が沈むって時間だったのである意味ベストな時間だったのかも?
ビジターセンターの中にはネイティブ・アメリカンの像、ナバホ族でしょうか。
モニュメント・バレーと検索すると一番に出てきそうな光景ですが、ビジターセンターから見ることができます。
岩山の名前は2つのミトン・ビュート(Left Mitten, Right Mitten)とメリック・ビュート(Merrick Butte)です。
公園内には様々な形をした岩山がありますが、自分で運転して移動できるので、気になった岩の近くまで行くことも可能です。(道があればですが・・笑)
奥の方のミステリーバレーと呼ばれる岩のある地区はジープ・ツアーに参加しないといけないので、そちらはまたのお楽しみですね。
右手に見えるのはトーテムポールと呼ばれる岩でしょうか。ちょうど日が沈んできました。
この日が沈む景色は個人的アメリカ生活ナンバーワンの風景です。死ぬまでにもう一度来たいと思ったのは初めてかもしれない。
次回来る時はビュー・ホテルに泊まってゆっくりしたいところですね!
こんなところで1日目は終わりです。
ちょっとレアなヨーロッパの国シリーズ③ ボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦(2)
ボスニア・ヘルツェゴヴィナのまとめ、その2です。
だんだん日が暮れてきましたので、街の方に下っていきます。
街に戻る前に名物であるボスニアンコーヒーを頂きます。
Teahouse Džirlo
ボスニアン・コーヒーは粉をフィルターで通したりするわけではないので、粉が沈むまで少し待っている必要があります。粉が沈む前に飲んでしまうと思いっきり粉が口に入ってしまうので美味しくないです笑
店員さんのいい笑顔!
店を後にし街中へ戻ります。
バシチャルシアもすっかり暗くなってしまいました。
こちらはカトリックの大聖堂
永遠の炎 (ヴィエチュナ・ヴァトラ)
この永遠の炎はバシチャルシアから見て東の方にある、第二次世界大戦の犠牲者に捧げたメモリアルだそうです。
冬場だったのであったまってる?人が周りにいました。
1992年〜1995年の紛争時には火が消えていたそうです・・・
そんな紛争時の光景が展示されているミュージアムにもいきました。
Gallery 11/07/95
こちらは紛争中の1995年7月に起きたスレブレニツァの虐殺の写真や映像が展示されています。8000人ものイスラム教徒が虐殺されてしまったようです。
あまり見たくない、目を背けたくなるような展示内容ですが、このような痛ましい出来事が30年足らず昔に行われています。こんなひどい事件を再び起こさないためにも、当時の光景を今に伝えるミュージアムは貴重だと思います。
ボスニアの食事
ここでは旅行中に食べたもの写真を並べていきます。こちらは最終日に行ったレストラン。
Morića Han
こちらは別の店
ビーフスープと肉肉肉・・・笑
でも美味しいんですよ、肉が柔らかくて美味しい。
ボスニアはイスラム教が強くてあまりお酒置いてるところ少ない印象なので、あんまりビール飲めませんでした。
安定の食後のボスニアン・コーヒーです。
レストランの外には雰囲気のあるおみやげ屋さんもあります。
さて、こんなところで短いボスニア旅行の紹介は終了です。旧ユーゴ内の国は今の所5カ国いきましたが、似ているようでかなり違う国々で異国感がありますね。
近いうちに全部の国に行きたいところです。
ちょっとレアなヨーロッパの国シリーズ③ ボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦(1)
今回は旧ユーゴスラビアの構成国の3カ国目、 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに訪問しました。いつものように一泊二日の弾丸旅行です。
場所はどこだっけ?ってなりますが、いわゆるバルカン半島にありセルビア・クロアチア・モンテネグロなどの旧ユーゴ諸国に囲まれています。一応海に面しているようですが・・・ほぼ内陸国ですね。
なかなか紛争の絶えない地域で、自分がとっくに生まれた後である1995年まで民族紛争が続き、にわかに信じられないような争いが行われていたようです。
また、ボスニアのサラエボといったら「サラエボ事件」も有名です。せっかく行くので歴史上ものすごく有名な現場や紛争の後を見ることによって正確な認識を持ちたいと思います。何事も興味を持つことが感じということで。
それでは紹介を始めていきます!
例によって?空港からは電車などないのでバスで市内へ向かいます。
バスは5KM。コンベルティビナ・マルカ(兌換マルク)でKMだそうです。2KMで1ユーロなので、空港から市内までのバスが2.5ユーロ、物価安い!(正確に言うと1KM=0.51129ユーロの固定レートらしい)
ドイツマルクなんて見たこともないけど、兌換マルクを使っている国と思うとなんとなくの親近感。
さて、さっそくサラエボにつき中心を東西に横断するミリャツカ川の周辺をふらふら。
なんとなーく長野にでも来たような印象。
この街の印象として、空気があまり綺麗ではないからなのか街並みが若干淡い色に見えてきます。そんなところで例の有名な橋を通ります。
ラテン橋
ここが例の橋です。想像したよりこじんまりしているような・・・気がしました。
そしてここが例のサラエボ事件の現場、1914年にフランツ・フェルディナント夫妻が暗殺された場所になります。
フランツ・フェルディナントを知ったのは世界史の教科書が先か、イギリスのバンドが先か、と思いながらふらふらしてましたが、ここも思ったより普通の街角・・・ここから第一次世界大戦が起きてしまうとは。
ヨーロッパに来る前は、なんでボスニアでオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者がセルビア人に暗殺されるの?と疑問だったりしましたが、
欧州に来て少しくらいは歴史の勉強をしていたら、1908年にオーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合したのでこの時期はオーストリア=ハンガリー帝国の一部だったのね。
とか、犯人のガヴリロ・プリンツィプはボスニア出身のセルビア人だったのね。
とか、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の中にボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とセルビア人中心のスルプスカ共和国(セルビア人共和国)があるのね。(セルビア共和国?と紛らわしいので日本だとあえて?なのかスルプスカ共和国の名前を使っている様子。 )
とか、一概には言えないかもしれないが大セルビア主義でセルビア人国家の結束を強めようと言う時にボスニア併合したのね。
とか思うと、紛争が起きそうな匂いを今なら感じてしまいます。
サラエボのバスターミナルがボスニア・ヘルツェゴビナ連邦側とスルプスカ共和国側に分かれていてどういうことだろう?と思ったましたが、サラエボの周りはボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の境になっているようです。
少し重い気持ちになってしまいましたが、楽しい部分を見つけにいきましょう笑
これは独特の風景ですね。あまり今まで来た街にはなかったと思う。
この辺り、ラテン橋を渡って川の北側は、バシチャルシアと呼ばれるエリアです。
街の中心にモスクがあるとオスマン帝国時代の名残が強い街なのかなあと想像しますね。
ここは観光ガイドブックなどにもよく出てくるバシチャルシアの中心スポットですね。
イスラムの国の雰囲気です。うまく言葉では表せませんが・・・
金銀細工のお土産を扱う店が軒を連ねており、いわゆるヨーロッパとは違う雰囲気を味わえます。
小腹が空いたのでチェバブチチを挟みます。これぞバルカンのソウルフードでしょうね。
さて、日が暮れてしまう前に街を一望するために高台へ向かいます。1月に行ったから日が暮れるのが早い。
この辺、なだらかな高低差のある地形のようです。
Yellow Bastion
バシチャルシアから徒歩15分ほど、坂を登りながら墓地を超えて少し進むと高台があります。
街が一望できますね!
スモッグ?で街がど〜んよりしてますね・・・確かにすごく排気ガス臭かった気がする。
ああ、欧州にもこういう街があるんだなあと思った。東欧に来るといつも思うのだけど。
ちょっと空気が汚い気がするけどこの写真はお気に入りだったりします。欧州ではあんまり見ない風景だなあと思いました。
まとめの前半はこんなところで続きはまた次回。
ちょっとレアなヨーロッパの国シリーズ② セルビア🇷🇸(2)
セルビアはベオグラード2日目、時間があまりなかったので前日行ってない主要スポットをざっと回りました。
ベオグラードと言ったらユーゴスラビア時代からの首都なので、ユーゴスラビアを感じさせるスポットもあります。
特にユーゴスラビアに思い入れはないのですが・・・1929年から2003年までの期間存在していた(6つの国で構成されていたユーゴスラビア社会主義連邦共和国としては1992年まで)ということですから、自分が中学生くらいまではあったということになります。確かに中学生時代にニュースでよくユーゴスラビアの名を聞いていた気がしますね。
自分の中ではそんなにすごく昔というわけでない時期に国の体制が変わっていることに興味があり、セルビアに来たらユーゴスラビア時代を感じさせる場所に行きたいなあと思っていました。
そんなわけで、まずは1番行きたかった場所です。
ユーゴスラヴィア歴史博物館
街中からはバスに乗り12分とそんなに遠くないですね。
旧社会主義国を感じさせる街並み。こういう集合住宅が多い印象。
整っているけど無機質な・・・これも社会主義っぽい公園を通りながら先へ進みます。
噴水の前に立つ、通称「花の家」と呼ばれる建物の中に入ります。
この花の家と呼ばれる建物はユーゴスラビアの大統領であったチトー(ヨシップ・ブロズ・チトー)が眠る霊廟です。そのため、中に入ると大きな写真やゆかりの品々の展示が目立ちます。
花の家の中心にチトーの墓があります。1980年没と自分が生まれるより前に亡くなっている人物ですが、生前エピソードを調べるとさぞ影響力の強い偉大なリーダーだったのだろうと感じさせられます。
生まれは今のクロアチアだったみたいですが、当時はオーストリア=ハンガリー帝国を構成するハンガリー王国のクロアチア=スラヴォニア王国と、それだけでも複雑な時代であったことを感じさせられます。本当にこの辺の時代の欧州は複雑。
ユーゴスラビアのことを調べると「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と目にしますが、そんなの治めんの無理やろーーと思ってしまいますが・・・
こちらの絵はそれぞれの地域で異なる民族衣装を持っているということを示しているのでしょうか。
特に3つも宗教(カトリック・正教・イスラム)があるのが紛争の火種になっちゃいそうな気配をムンムン感じてしまいます。
社会主義の偉人たちの像。
ユーゴスラビアの国旗。セルビア、スロベニア、クロアチアの国旗と近いですね。
こちらはお土産?でよく売ってるユーゴスラビア時代のハイパーインフレ時の紙幣。
なんとインフレ率が15〜25%だったとか・・・
写真はたったの(?)5000万ディナールですが、5000億ディナールとかまで行ったそう。
いやいや0一個多くても全然ぱっと見わからんよ。
そんなこんなで次のスポットへ移動します。
聖サヴァ教会
セルビア正教の中心的な教会だそうです。でかい・・・
ニコラ・テスラ博物館
交流電流のニコラ・テスラってベオグラードの人なのかと思いましたが、調べたけどそういうわけではなさそう?(生涯でベオグラードに訪れたのは一度のみという話も)
両親がセルビア人だけど生まれは現在のクロアチアのようです。まあ旧ユーゴの構成国出身の偉人ということで首都のベオグラードに記念館がある、と思えば自然なのか笑
中では送電システムの体験会も行われており、子供連れの方が面白いかも?
またバスに乗り空港に戻ってきました。
こんな感じで短いセルビア・ベオグラードへの旅のまとめを終えたいと思います。
当時は旧社会主義国を連続して回ってたので、この流れでまたいくつかダラダラとまとめたいと思います。
ちょっとレアなヨーロッパの国シリーズ② セルビア🇷🇸(1)
今回もちょっとレアな国ということで、セルビア共和国(Serbia)の首都、ベオグラード(Beograd)を訪問します。
この国はかつてはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都だったこともあり、一度立ち寄ってみたいと思ってきました。
まずはベオグラード・ニコラ・テスラ空港から移動していきます。
空港からはシャトルバスが便利ですね。市内までは30分くらいでいけます。
スラビヤ広場
空港からのバスはスラビヤ広場につきます。BEOGRADのサイン(キリル文字ですが)が目印なのでわかりやすいと思います。
Nemanjina通りを北西の方向に歩いて行くと目的地の1つにつきます。
空爆跡ビル (Generalstab/ゲネラル・シュタブ)
ここは空爆跡ビルと呼ばれており、1999年のNATOによる空爆の標的となり破壊されたビルです。市内中心部にあるので、周りも被害があったのかと思うと痛ましい感情になりますね。
セルビア側から見るのとNATO側から見るのでは全く印象が異なりますが、せっかくなので専門書を読んでから訪問しました。自分の備忘録として読んだ本を振り返っておきます。
・終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ/木村元彦著
・「独裁者」との交渉術/明石康著(インタビュー・解説 木村元彦)
ヨーロッパの火薬庫と呼ばれる紛争の絶えないバルカン半島ですが、なかなか日本からはいけないので、当時よく行ってました。セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボ、北マケドニア、スロベニア。
観光地であるギリシャやクロアチアには行ってないという・・・笑
とは行ってもそれぞれ首都に行っただけなので深い部分はわかりませんが、せっかくなので楽しそうな部分をまとめたいですね笑
ザヴィチャイ(セルビア料理レストラン)
味はだいたい写真の通りですね笑
民族衣装が掛けられていたり、こじんまりとして可愛らしい内装のレストランです。
そういえば他にも明らかに日本人ぽい人がいたな。さすが地球の歩き方にも乗ってるからみんなここにくるんでしょうかね。
セルビアといえば日本がバスを寄贈しているらしく、日本国旗が描かれたバスをちょこちょこ目にしました。こういうのって悪い気はしないよね。
昼飯を済ませベオグラードの中心部に行きたいと思います。
その間に、回り道をしながら
聖マルコ聖堂を通ったり、
国会議事堂を通ったりしながら進みながらテラジエと呼ばれる通りに向かいます。
この通りが個人的にザ・元社会主義国って感じですごく印象に残っています。(別に社会主義が好きなわけではない)
そういえば、大学時代の研究テーマが民主主義・社会主義などのイデオロギーだったこともあり、実地体験としてこういう国に行くのが好きでした。
共和国広場
多くの人が行き交う共和国広場です。他の広場より広いし、国立博物館と第3代セルビア君主のクネズミハイロ像もあり、ベオグラードの必須スポットになると思います。
共和国広場の周りはヨーロッパらしい街並みですね。ああここもヨーロッパなんだなあと感じます。広場からクネズミハイロ通りを進み、カレメグダン公園に向かいます。
カレメグダン公園〜ベオグラード要塞
スタンボル門と時計塔を通りベオグラード要塞の中に進むとなぜかミサイルが・・・(本物らしい)
公園をさらに進むと見晴らしの良い場所に出ます。
サヴァ川とドナウ川の合流する地点ということで来てみたかったんですよね〜
まあサヴァ川にはなんの思い入れもないけど。
夕暮れどきになってきた良い景色に黄昏ながらビール。一人旅の時によくやるやつ。
こちらはサヴァ川の方ですね。スロベニアからクロアチア、ボスニアに流れていてベオグラードでドナウ川に合流するようですね。ヨーロッパきてから暇な時に川沿いでビール飲む習慣ついたかもしれない・・・笑
スカダルリヤ通り
夕食は多くのレストランが集まる繁華街、スカダルリヤ通りに行きました。
ユーゴスラビア時代からのボヘミアンな場所のようです。こういうハッピーな雰囲気の場所好きですね〜
歩き回って疲れたのでとりあえずビール。
夕食はグリルです。バルカンの名物チェバブチチ。
とりたてすごく特徴的な味ってわけじゃないのだけれども、これがまた癖になる味。
何度かのバルカン半島訪問で「俺たちのチェバブチチ」っていうようにまでなりました笑
夜の共和国広場、ここはいつ行ってもにぎやかですね。
一泊二日のベオグラード弾丸旅行、1日目はこんな感じです。